2017年夏
今年の夏旅行も無事に決まりました。
やっぱりフィンランドに行きます🇫🇮
これで5回目のフィン旅かぁ、、、
もう私のアナザースカイというか心の故郷。
そして今年は初めてスウェーデンも行っちゃうぜ。
北欧好きってよく一まとめにされるけど私はフィンランドから入ってフィンランドしか知らないから、ちょっと違和感あって。
でも他の北欧諸国も知らないのにフィン以外を悪くいうのも変やしね、ということで満を辞してのスウェーデン。デンマークも行きたいんやけど、1週間かそこらの旅行に三ヶ国も詰め込むなんて愚の骨頂だと個人的に考えているので悩んだ末のスウェーデンです。
タリンクシリアラインという(豪華?)客船で一泊することになったので、それも楽しみ。
過去の旅行をまとめることは半ば諦め気味ですが←
今年の旅行はできるだけリアルタイムで記録に残しておこうと今は思ってる。今はね。
フィンに留学経験のある子と一緒なので今までとはひと味違う旅になりそうだ。
もちろん新しくなったタンペレのムーミン美術館にもいきますぜ。
スウェーデンで何するかは全く未定やので決めねばやけど、まぁ現地で気になったところ見ればいいかぁくらいのテンション。フィンランドへの熱量との違い笑
ヘルシンキでは去年目をつけたキルプットリ(リサイクルショップ)を何件か回るつもり。あとは大型スーパーは必須。ヘルシンキの街中によくあるkmartじゃなくて、郊外にあるkcitymartが素晴らしいのだ。あーはやくあの空間の空気吸いたいわ。
この旅行を心の拠り所にして、あと2ヶ月ほど頑張る!!
食器棚がやってきた
食器棚が欲しい欲しいと言い続けて早三年。
ついにその時が。運命の出会いから2週間、待望のマイ食器棚ちゃんが我が家へ。
もうね、めちゃくちゃ気に入った。
店にあるときより、食器入れてからの方がずっとずっといい感じ。我が家のインテリアにも完全にマッチしとる。ずっと前からいたんちゃうか、みたいな。
飾ってもらうのをクローゼットの隅で待っていた大量の食器達がほんとに嬉しそう。
しかし食器棚に入れてみて改めて食器の多さに我ながら驚いた笑
全部入れるの無理やったし笑
そしてすでにもう新しいの買ってもたし。
ブラパラのコーヒーカップソーサーとムーミンの冬マグ。良いねんずっと欲しかったやつやし。っていう言い訳いつもしてるけど。
届くの楽しみだー!
なんでも無い日
旅行記書けない病を患ってます。
気を取り直してただの日記を。
最近は仕事のモチベーションが上がらなさすぎてつまらない。
転職というより自分でお店をしたいけど、勇気がなくてできない。だめな凡人。
でも思い返せばわたしは子供の時から自分で小さなお店をするのが夢だった。小学生時代は薬剤師になって田舎の森で薬屋さんをしたいとか思ってた。たぶん魔女の宅急便から影響受けとる。
中学は家で料理教室して料理の本を出すのが夢だった。どこのセレブ妻。
高校ではなぜか弁護士になって事務所を構えて同じ敷地で雑貨屋やりたいっていう非現実な夢を描いてた。
そして大学では弁護士引退してからカフェとかスナックとかやりたいーってなって、
結局いまは普通に働いとる。
全然あかんやん。
退職してお店をやるなら、目標に向けて具体的に何をやればいいのか、何ができるのか、明確にしていこう。
進まねば。
完全に話は変わるけど、食器棚をやっとこさ購入した。ほんとはデンマークのヴィンテージを狙ってたし、意外とお値段的にも買えそうやったのに、気づいたらunicoの展示処分品をお買い上げしていたよ。
ガラス扉が付いていて、引戸で、隠せる部分もあって、っていう私が食器棚に求める項目を全部クリアしてた。
背が低めでチビの私には使いやすいし。
ということで、ヴィンテージはまたのお楽しみに。
明々後日に届くのでずっとイメトレ中。
溢れて収納できない食器たちにやっと日の目を当ててやることができる!
ムーミンマグももはや何個もっているのか分からない。数えよう。
志村正彦について
フィンランド旅行まとめるとか言って、結局半年放置。
今年の夏のフィンランド旅行もまとめなきゃ、どんどん記憶が薄れていくばかり。
今年中になんとかしよ。
ということで(?)
今日は志村くんのことを書く。
急に書きたくなったから、書く。
志村くんというか、フジファブリックとわたしの出会いは遡ること約10年前。
当時の彼氏(今の夫)が大学で軽音サークルに入っていて、学祭でライブするよってことで、なんとなく見に行った。
最初の曲でいきなり心を鷲掴みにされた。なんか、今まで聴いたことない感じやけど、何故か懐かしくて、かっこよくて、なんなんこれ?みたいな。楽器とか全然詳しくもないし、音楽のセンスがある訳じゃないけど、これは、凄いぞと。
それがフジの線香花火って曲やった。
あとは、桜の季節、桜並木二つの傘、陽炎、ダンス2000やったかな、、、今思い出しても素晴らしい選曲。
それで、とにかく衝撃を受けたわたしはすぐに彼氏に音源を貰って、そこから毎日行き帰りの電車の中でフジを聴きまくった。
インディーズ時代のCDも借りたり買ったり、とにかく全ての曲を知りたくて、聴きまくった。
志村くんの作る音楽になんでそこまで惹かれたのか、結局はフィーリングが合ったってことやけど、1番は歌詞の魅力かなと思う。
単純で簡単な言葉ばっかり並べた薄っぺらい歌詞の歌が世間では流行していて辟易してたけど、フジの歌は違った。聞いたことがないような擬音語、擬態語が多用され、歌詞を聴いているだけで、頭にその風景が浮かび上がってくるような感覚。
それがとても好き。
あとは急に思いもよらない転調をする曲が多いことにも衝撃を受けた。そうくる??みたいな。でもいつの間にかそれが癖になってくるから不思議。
新曲が出れば買ったし、ライブにもたくさん行った。
大学を卒業して、大学院に入り、自習室でずーっと勉強しなきゃいけない時も聴いてた。
就職して彼氏と別れた時、辛すぎて帰りの電車で泣きながら聴いた。
気づけば私の生活には無くてはならない存在になっていた。
そしてクリスマスイブの突然の訃報。
ネットニュースで最初に見た時は本当に目を疑った。や、なんの冗談やねん?て。ありえへんやろ、て。
でも本当やった。
志村くんが死んじゃった。志村くんがもういないなんて、、、
有名人が亡くなって泣くなんてこと自分には無いと思ってたけど、めっちゃ泣いた。いつまでも辛くて、信じられなくて、どうしようもない気持ちになった。
志村くんが亡くなって、お別れの志村會が開催された時、私は就職一年目で、初めての有給休暇を使って午後の休みをもらい東京に行った。日帰りで。
献花をするためのお花を職場近くの花屋さんにお願いして作って貰った。志村くんの誕生花であるトルコキキョウを入れてくだいって頼んで。
中野サンプラザにはたくさんの人が来ていた。でも、私は志村くんのかっこいい遺影を見ながら、なんか夢の中にいるみたいな気持ちになってボンヤリしていた気がする。現実味が無くてふわふわしてて、正直あまり覚えていない。親族の方がいらっしゃって、献花する人たちに毎回頭を下げてくださっていたことはとても覚えているけれど。
そのあと、東京観光する様な気分にもなれず。近江屋洋菓子店のフルーツポンチだけ買って帰った。そんな時でも美味しいものには目がない。
いまだにフジの昔の曲は周期的に聴きたくなるので、志村くんのことはしょっちゅう思い出す。志村くんが残してくれた歌はいつまでも残っている。それだけが救い。
フジファブリックを続けてくれているそう君、加藤さん、大ちゃんには感謝しかないけれど、やっぱり志村くんがいないフジをみるとどうしても思い出して辛くなる。
志村くんがいなくなってからも何回かライブには行ったけど、毎回志村くんを思い出して泣いてしまうので、もう行かないことにした。なんか、今のメンバーに申し訳ない気がして。
ついこの前、プリンセスメゾンというBSのドラマを見ていたら、急に聞き覚えのある声の曲が流れて来て、それが茜色の夕日で、不意打ちすぎてびっくりした。そっからはそればかり気になってドラマの内容をあまり覚えていない。
そしてやっぱり志村くんに会いたいなぁと思ってしまった。
気づけばわたしは志村くんの年齢を追い越してしまったよ。もし普通に志村くんが生きていたら、30歳の志村くん、40歳の志村くん、50歳の志村くんはどんな曲を作ったんだろうかとよく考える。
志村くんの新しい曲をもっと聴きたかった。でも、残してくれた曲たちはとても素敵なものばかりで、それらを私にくれたことにとっても感謝しているし、これ以上望んじゃあかんよね、と思うようにしてる。
また今年もクリスマスがやってくる。
トルコキキョウを飾ろう。