志村正彦について
フィンランド旅行まとめるとか言って、結局半年放置。
今年の夏のフィンランド旅行もまとめなきゃ、どんどん記憶が薄れていくばかり。
今年中になんとかしよ。
ということで(?)
今日は志村くんのことを書く。
急に書きたくなったから、書く。
志村くんというか、フジファブリックとわたしの出会いは遡ること約10年前。
当時の彼氏(今の夫)が大学で軽音サークルに入っていて、学祭でライブするよってことで、なんとなく見に行った。
最初の曲でいきなり心を鷲掴みにされた。なんか、今まで聴いたことない感じやけど、何故か懐かしくて、かっこよくて、なんなんこれ?みたいな。楽器とか全然詳しくもないし、音楽のセンスがある訳じゃないけど、これは、凄いぞと。
それがフジの線香花火って曲やった。
あとは、桜の季節、桜並木二つの傘、陽炎、ダンス2000やったかな、、、今思い出しても素晴らしい選曲。
それで、とにかく衝撃を受けたわたしはすぐに彼氏に音源を貰って、そこから毎日行き帰りの電車の中でフジを聴きまくった。
インディーズ時代のCDも借りたり買ったり、とにかく全ての曲を知りたくて、聴きまくった。
志村くんの作る音楽になんでそこまで惹かれたのか、結局はフィーリングが合ったってことやけど、1番は歌詞の魅力かなと思う。
単純で簡単な言葉ばっかり並べた薄っぺらい歌詞の歌が世間では流行していて辟易してたけど、フジの歌は違った。聞いたことがないような擬音語、擬態語が多用され、歌詞を聴いているだけで、頭にその風景が浮かび上がってくるような感覚。
それがとても好き。
あとは急に思いもよらない転調をする曲が多いことにも衝撃を受けた。そうくる??みたいな。でもいつの間にかそれが癖になってくるから不思議。
新曲が出れば買ったし、ライブにもたくさん行った。
大学を卒業して、大学院に入り、自習室でずーっと勉強しなきゃいけない時も聴いてた。
就職して彼氏と別れた時、辛すぎて帰りの電車で泣きながら聴いた。
気づけば私の生活には無くてはならない存在になっていた。
そしてクリスマスイブの突然の訃報。
ネットニュースで最初に見た時は本当に目を疑った。や、なんの冗談やねん?て。ありえへんやろ、て。
でも本当やった。
志村くんが死んじゃった。志村くんがもういないなんて、、、
有名人が亡くなって泣くなんてこと自分には無いと思ってたけど、めっちゃ泣いた。いつまでも辛くて、信じられなくて、どうしようもない気持ちになった。
志村くんが亡くなって、お別れの志村會が開催された時、私は就職一年目で、初めての有給休暇を使って午後の休みをもらい東京に行った。日帰りで。
献花をするためのお花を職場近くの花屋さんにお願いして作って貰った。志村くんの誕生花であるトルコキキョウを入れてくだいって頼んで。
中野サンプラザにはたくさんの人が来ていた。でも、私は志村くんのかっこいい遺影を見ながら、なんか夢の中にいるみたいな気持ちになってボンヤリしていた気がする。現実味が無くてふわふわしてて、正直あまり覚えていない。親族の方がいらっしゃって、献花する人たちに毎回頭を下げてくださっていたことはとても覚えているけれど。
そのあと、東京観光する様な気分にもなれず。近江屋洋菓子店のフルーツポンチだけ買って帰った。そんな時でも美味しいものには目がない。
いまだにフジの昔の曲は周期的に聴きたくなるので、志村くんのことはしょっちゅう思い出す。志村くんが残してくれた歌はいつまでも残っている。それだけが救い。
フジファブリックを続けてくれているそう君、加藤さん、大ちゃんには感謝しかないけれど、やっぱり志村くんがいないフジをみるとどうしても思い出して辛くなる。
志村くんがいなくなってからも何回かライブには行ったけど、毎回志村くんを思い出して泣いてしまうので、もう行かないことにした。なんか、今のメンバーに申し訳ない気がして。
ついこの前、プリンセスメゾンというBSのドラマを見ていたら、急に聞き覚えのある声の曲が流れて来て、それが茜色の夕日で、不意打ちすぎてびっくりした。そっからはそればかり気になってドラマの内容をあまり覚えていない。
そしてやっぱり志村くんに会いたいなぁと思ってしまった。
気づけばわたしは志村くんの年齢を追い越してしまったよ。もし普通に志村くんが生きていたら、30歳の志村くん、40歳の志村くん、50歳の志村くんはどんな曲を作ったんだろうかとよく考える。
志村くんの新しい曲をもっと聴きたかった。でも、残してくれた曲たちはとても素敵なものばかりで、それらを私にくれたことにとっても感謝しているし、これ以上望んじゃあかんよね、と思うようにしてる。
また今年もクリスマスがやってくる。
トルコキキョウを飾ろう。